ブログ139日目(100倍サンキューの日←思いつき)
身体が言うこときかない時もある。
心が言うことを聞かないこともある。それも良き。
事実を受け入れる
今日は今日の私が生きているし、昨日は昨日の私が生きていました。
日々変わりゆく毎日で同じ日なんてないのです。
今日の自分がワクワクしている日もあれば、ピリピリしている日もあるのです。
むしゃくしゃする日はむしゃくしゃする自分を受け入れる。
むしゃくしゃする自分は変えられませんのでまるごと受け入れる。
そして、むしゃくしゃする自分でその日をどう楽しむかを考えたら良いのです。
今日は今日とて、いい日にするもしないも自分が決めるのであります。
瞑想
毎日少しでもいいから瞑想しようと決めています。
座ってただ目を瞑るだけでもいいです。
電車に乗っている時間だけでも目を閉じることもあります。
夜、眠る前に目を閉じ身体や心の内側に集中し呼吸を続けることもあります。
今日はたまたま三人で30分間の瞑想を行いました。
一人よりも二人、複数でやる瞑想はまた違った感覚になります。
一人で瞑想している時も一人のようで一人ではない感覚のときもあります。
一人じゃないのに”ひとつ”の感覚もあります。
今日の瞑想は三人だったからか、自分の中の空間と自分の外の空間がより大きく拡張し、とっても大らかな時間を過ごすことができました。
といっても、瞑想というのは人それぞれなので正解や不正解もありません。
瞑想自体が行為(する)というよりかは体験(起こる)といったものになります。
私が毎日瞑想していて思うのが、しないよりかはした方がいい。
瞑想を強要はしませんが推奨はします。
ここで少し私の瞑想体験を紹介します。
身体は眠っているのに意識だけが起きていて、意識が何かをずっと探しているのです。
光が見えるときもあれば、微生物のようなものがずっと動いているのをただ見ていることもあります。
映像が流れるときもあります。
毎回共通していえるのは、瞑想が起こると身体が大気中に溶けていく感覚があるということ。
この世と肉体の境目が消えてしまうのです。
もし私の骨が粉砕されて宇宙からバラまかれたらこんな感じなのかな。
なんて思います。
また、音楽がかかっていても、全然耳に入ってきません。
大都会の交差点のど真ん中で人やビルがモノクロに見えて、一瞬停止する。
雑音だけが動いている。
この世には自分一人しかいない。
瞑想中もこんなことを体験していたりします。
わかるかな。
わからないよね。
そんな感じです。
今日はここまで。
読んで下さりありがとうございました。
また明日。
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