宿命

ブログ275日目(今日も1日中幸せでした)

今日もありがとうございます。

私たちは何者でもありません。今日は生かされていることに改めて感謝したよー。

私って誰?

どなたか答えを知っている人はいますか?

私って誰なんでしょうか。

絶望する出来事があって落ち込んでいる私、または凄く幸せで上機嫌な私。

今日買い物をした時に接客してくれたお姉さんからしたら、どちらの私も、無論、関係のない話しです。

”私”って私にしかわかりませんよね。

唯一無二の私です。

ところが、朝起きて、今日はこの”私”として生きていますが、もしかしたら昨日はお隣にいるあの人が私だったのかもしれません。

2年前の私と現在の私も同じ私とも限りません。

2年前に食べたものでつくられた私はもうとっくにいないですしね。

私たちは何者でもありませんが、この命をもって生まれてきています。

命を宿した何者かです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、この世のことを何も知らないしわかりません。

この世に生まれてから、一番最初の「名前」を付けられて、例えば”Aちゃん”だとしたら今世はAちゃんとしてスタートすることになるのです。

そこからAちゃんは年を重ねる度に、肩書きがつき始めるのです。

お母さんからしたら、娘のAちゃん。

お姉ちゃんからすると、妹のAちゃん。

部活に入部したら、先輩のAちゃんや後輩のAちゃん。

結婚したら妻のAちゃん、出産したら母のAちゃん。。。。

そうやって私たちは色んな役割をもって生きています。

命あるもの、生まれる意味があって生きています。

どんな意味かって?

それは楽しむためにこの世に生まれてきているんです。

そう、私たちは何者でもないですが、命あるものには違いなさそうってこと。

ちょっと取りとめがつかなくなったので今日はここまでです。

読んで下さりありがとうございました。

また明日。

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