最近、おもろいな~と思うことがありました。
それは、”逆も然り”です。
逆も然りとは、逆の場合を考えても正しいという意味です。
自分の正義はあくまでも自分の正義。
私の正義が他人にとっては悪かもしれませんが、それでいいんです。
まだまだ未熟者ですが一周回って、やっとそれに気づけた気がした今日この頃。
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第四十回・物事の裏と表、ひっくるめて尊いという話し
私は、自分で言うのもなんですが、生意気です。
でもそれをひっくるめて私です。
私は私にしか出来ませんから、それが私の強みでもあるんです。
いいところでも悪いところでもあるんです。
それを知っています。
自分と同じようなことを考える人とは、仲良くなります。
これは類は友を呼ぶというやつです。
かつては、いがみ合っていた仲でも共通項でお互いが協調したならば途端に仲良くなる。
(わかるわかる~ってよく言い合ってるやつ)
そして共通項を通して一人が二人になるので(大袈裟にいって)組織が拡張。
時に拍車をかける場合もあります。
例えばですが、ピーマンが嫌いな人同士とで話しがめっちゃ合うとする。
ピーマン嫌いトークが盛り上がって、ピーマンの嫌い度がさらに増し、さらにはピーマン好きを否定しだす。
逆も然りで、ピーマンが好きな人だっていて、ピーマン嫌いの気持ちなんかわからないのです。
ピーマンは、世の中の人にとっての好きな食べ物でもあり嫌いな食べ物でもある。
ピーマンは正義でもあり悪でもあるのです。
ピーマンはただピーマンであるだけ。
だから巷でピーマン談義があったとして、ピーマン嫌いな人がピーマン好きを否定する必要もないし、ピーマン好きがピーマン嫌いを肯定する必要もないんです。
そういう人がいていいんです。
誰も何も悪くありません。
さらに言わせてもらえば、ピーマンを好きでも嫌いでもない人(第三者)に同意を求めるのもおかしいし、同調するのもなんか違う。
軽薄かと思われてしまいますが、第三者からしたらそんな話しは「あらそうですか」「てゆうか、そちらでよろしくやって」なのです。
まだ当事者(ピーマンが好き・または嫌い)ならいいんですが、ピーマンが好きでも嫌いでもない人は、正直、お互いを嫌おうが好こうがどっちでもいいんです。笑
実はね、そういうのが生活の中の極小さな単位でめっちゃ起きていることに気づいたんです。
我々は、自由でいいんです。
私は生意気なあまりに敵視されることが多いです。
ピーマンのように好きとか嫌いとかがあって然りだと思っています。
なんなら話題に出るくらい野菜の中で際立っているならば、大きくなったな(大物感)えっへん!なのです。
もう一度言いますが、ピーマンはただピーマンであるだけ。
好きな人も嫌いな人もいて、そうでもない人がいる。
それをひっくるめて認めてあげる。
まとめると、全ては尊いなぁ。です。←下手くそか。
※今回、ピーマンは完全にトバッチリでございます。
今日はここまでです。
読んでくださりありがとうございました。
このブログが何かのきっかけになってくれたら嬉しいです。
愛と光を込めて。
※尊敬するヨガの先生がブログのさいごに必ず愛と光を込めて。と、いってくださるのが好きで私もそえることにしました。
ではまた。
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