第二十一回「あきのたわごと」

みなさま、お元気でしょうか。

久しぶりのブログになります。

毎日が楽しいと思えば思う程、この楽しいを失うのが怖くもあります。

楽しいことはずっとは続きませんので、今を存分に生きるに尽きます。

★2020.9.1~2022.1.13毎日ブログ500はこちら/2022.1.14~1分ブログはこちら

第二十一回・勘違い糞野郎からの脱却

最近ね、こう思うんです。

自分が動かなかったら誰が動くの?と思う反面、私がその一切をやらなくても世間は何も変わらないということ。

誰かの為にやっていたはずのことも、結局は自分のため。

自分のためが誰かのためになっているとしたら、それはそれでとても良いこと。

ただし、いつの間にか、”誰かのため”という押し付けになっていないかだけ要注意。

もし、”誰かのため”という押し付けだとしたら、そりゃ自分勝手も甚だしいのです。

求められているものに対して応えるという法則が出来ているならまだしも、誰にも求められていないのに自分を全面的に開放しているとすれば、それはとんだ勘違い糞野郎。

かといって、自分を閉じ込めるともわけが違います。

どんな人でもどんなことであっても、必要としてくれている最小単位みたいのは存在すると私は思っていて、その人達が喜ぶ顔が見たい。

そんな理由でもいいと思うんです。

今の自分の周りを見渡してみたときに思い浮かぶ(または、いる)顔ぶれやものがまさにその最小単位みたいなやつの候補です。

今生で生を受けているという奇跡。

さらに出逢えたことの奇跡。

別にね、運命を讃えたいわけじゃないんです。

起きていることを受け入れる覚悟が出来ていて、どんなときも幸せであることに気づけるかどうかがポイントなのです。

今、自分の中にある気持ちや関わる方々には、本当に感謝だなぁと常々思う。

生きているってそれだけで尊いね。

ずらずらと面倒臭そうなことを言ってすみません笑

今日も幸せだから思えること。

みなさんは今何を想っていますか。

今日はここまでです。

読んでくださりありがとうございました。

このブログが何かのきっかけになってくれたら嬉しいです。

愛と光を込めて。

※尊敬するヨガの先生がブログのさいごに必ず愛と光を込めて。と、いってくださるのが好きで私もそえることにしました。

ではまた。

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