ブログ98日目(今日も感謝がいっぱい詰まった日)
”恋は盲目”という言葉がある。
相手に夢中になって、理性を失って周りが見えない様子です。
周りみえてますか
たまに、今ここに生きていないときがあります。
視点も定まらず、自分にモヤがかかっている感じ。
呼吸はきっと自動的にしていて、いちおう自転車や電車に乗って恐らく時間通りに所要を過ごす。
気づいたら家にいて、一日が終わっています。
時間は刻刻と流れ、周りはみんな生きているし、私も生きている。
瞑想している最中に何かが起きているとしたら、きっと眠っているようで眠っていない間を彷徨っているあの感覚に似ています。
そういう時は何をやっても駄目です。
今ここにいないのでグラウディングもしていません。
この世界には自分ひとりしかいないんじゃないかとすら思います。
映画の主人公が渋谷の交差点ど真ん中に立ち尽くし、その周りを行き交うモノトーンの人々がすれ違っていくように。
ナントも虚しい。
そんな時は今の自分に気づいて目覚めなくてはなりません。
誰かに話しを聞いてもらったり、お笑い番組をみてみたり、ヨガをしたり、手段は沢山あります。
今の自分に気づくと言うことは、周りにも気づかなくてはなりません。
自分で自分をみることは出来ないので、周りを見渡してみる。
相手は自分を映し出す鏡となってくれますので、相手を受け入れる。
もしかしたら、イライラしていたり、怒っているかもしれません。
笑っているかもしれないし、喜ばれているかもしれません。
周りの反応は、自分に気づきを与えてくれます。
相手も何かないと反応は起こさないと思いますし、そこは自分を知るチャンスです。
今ここを生きるためには自分単体のみではダメなのかもしれません。
今、近くにいる人や関わるひとたち、自分の目でみていきましょね。
夢中の落とし穴
恋に限らず、盲目になってしまうことがある。
自分の楽しいことに夢中になって、周りが迷惑しているのに見えなくなってしまったり。
自分が正しいと思って、周りを認められないとき。
自分の思い通りにものごとが進まず、焦ってものごとを考えてしまうとき。
それすらに気づかず我を通してしまうとき。
一旦、冷静になろう。
私たちの人生は、楽しく生きるためにあるといっても過言ではありません。
そんな中で自分だけが楽しければいい。と考えるのは私は嫌です。
周りが見えずに今ここに生きれていないとき、自分の楽しいを自分基準で決めつけていませんか。
周りに合わせろといっているわけではなくて、周りをみて今を楽しむ(今を生きる)ことのできる大人になろう。
そんなことを思った今日一日でした。
読んで下さりありがとうございました。
また明日。
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