第四十四回「死と生」

突然ですが、昨日の朝、こんなことを思いました。

私って誰?

私という意識はいつから始まっていつまで続くのか。

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第四十四回・お久なアキの戯言

私っていつから私なんだったけ?

今、いなくなったらどこに行くんだろう。

一生眠るとしたら、そのまま私はいなくなって、次に目覚める時は私はいるのだろうか。

急に怖くなる。

生まれ変わったらなんて、そん時には今の私はいない。

別の誰かであって、それは私ではない。

今、生涯のうち、”働く”という意味では結構ピークだと思うんですよ。

何かをやり始めるのに遅いも早いもないんですけど、世間体的には転職するのに40歳よりも20歳の方が先は長いし可能性があるなんて思われちゃうんです。

体力問題もあるかな。

で、今の私、ヨガティーチャーなんです。

え、私の生涯ってヨガティーチャーなん?

そこそこのメインの仕事になるのがヨガ?

ふつうに嫌なんだけど笑

そう思ったら、まだまだなんでも出来るな。

やりたいことやってこう。なんて思っちゃいました。

自分の使命だとか役割とか、結構どうでもよくて自分がどう在りたいか、何をやりたくて、どんな世界を見たいか。

だからさ、誰になんと思われようが知らん。

みんなのためとかみんなで一緒にとか知らん。

私は自分の人生を経験するために今ここにいるだけ。

だったら毎日感動したい。

私が在る限り。

以上

おまけ

海、あるじゃないですか。

海の水をバケツに入れた途端にそれは海じゃなくなる。

さっきまでは海の一部だったのに、切り離されちゃうんです。

元を辿ればおなじ海の水。

これって、我々にも言えるんです。

宇宙の集合体(ひとつの魂)があるとして、これが海。

バケツに汲まれた水(これが肉体の中の魂)。

我々、一人一人が元々は宇宙の集合体(ひとつの魂)なんです。

分裂して色んな経験をしてまたひとつの魂に戻るとも言えるし、もうすでにひとつの魂の一部とも言える。

そもそもこのバケツこそが私であると思うことが苦しみを生むんです。←ヨガ的学び

私たちの魂は元を辿れは同じ。

苦しむ必要もないのですよ。←急にまとめに入る

伝わるかな~。

わたしは私とて、自分の見たい景色を見て生きるとしよう。

今日はここまでです。

読んでくださりありがとうございました。

このブログが何かのきっかけになってくれたら嬉しいです。

愛と光を込めて。

※尊敬するヨガの先生がブログのさいごに必ず愛と光を込めて。と、いってくださるのが好きで私もそえることにしました。

ではまた。

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