証拠隠滅

ブログ464日目(今日は身体を酷使いたしました、ゴン攻め、ビッタビタでござい)

昨日、毎度のことながらテレビをながら見しました。

つけていただけで、ちゃんとは見てない。

那須川天心さんはトロフィーや賞状を一切もっていない

番組に那須川天心さんが出ていました。

家にはトロフィーや賞状が一個もないそうだ。

なぜならば、子どもたちなどにあげちゃうからだそうです。

持っていても意味ないと思っているからだそうです。

それは、なんでかというと、栄光の証であるトロフィーや賞状という物質的なものに負けたくないからだそうです。

持っていても価値がなく、一番重要なのは自分が勝てばいいということ。

・・・・・・・・。

かっこよすぎる。

昔の栄光に浸っていると先に進めないとか、あの頃は楽しかった。の、あの頃はもう一生こない。

なんて言ったりしますよね。

そして、トロフィーや賞状って、確かに意味ない。

貰って嬉しいけど、そのものには価値がない。

そういえばですが、幼少期の頃にもらった、色紙にかかれた賞状や、〇〇で賞。

捨てられずにとってある気がする。

幼少期の記録として、残しておきたいという思いがないといったら嘘になります。

定期的に訪れる断捨離ブームで、何度がぶちあたっていると思います。

あっても邪魔にならないし、別に捨てなくてもいいか。の部類。

私が幼少期にもらった、何かの頑張ったで賞と、那須川天心さんの世界一位になったときの賞状。

重みが違いすぎる。

と、比べるものでもありませんが、どっちも当人たちにとっては、自分が頑張った証拠。

大小では、決して分別することは出来ません。

でも双方、ただの紙切れと言えば紙切れ。

うん、要らないな。

よし、今年の断捨離では過去の栄光も捨てよう。

そう決意したのでした。

自分がこれは残しておきたい!の、ビビッとしたものは捨てないよ。

おまけ

毎日さつま芋を食べています。

今食べているのは紅はるかです。

いつも5㌔で箱買いします。

今回は細いのと太いのが混在してるものでした。

開封後は細いタイプから食べていたのですが、今日からは太めのさつま芋に突入です。

(昨日)

ちんー。←トースターのスイッチが終わった音

焼き立ては敢えてさけます。

翌日食べるのです。

寝かせたあとの焼き芋がいっちゃん旨いです。

細めのタイプはちんーッとして、味見でパクパク食べちゃいまして、あとは翌日(今日のこと)。

今日食べる。

くっそ旨い。

ちょっと太めのさつま芋ちゃんは、完全に内側までがトロトロになりきっていないのがまた良き。

翌日になると、焼き芋がしっとりして、密がギュギュっとしてきます。

感動を言葉にしてうまく伝えられない(-_-;)

つまり、今日の芋は大当たりだった!ということが言いたかったのです。

今日はここまでです。

読んで下さりありがとうございました。

また明日。

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