ブログ14日目(慣れない)
このブログは果たして文章になっているでしょうか。
自分が伝えたいことがきちんと伝えられているのか不明です。
へこたれずに気長に頑張ります。
発言
何か気に障るようなことを言ってしまったり、言われたりする。
そういった時に私は、何がそうさせたかを考えます。
そうすると、”言ってしまった”の時は自分にやじるしが向いています。
”言われた”の時は、相手にやじるしが向いているんです。
本質的に、言ってしまったのには自分に原因があり、言われたときは言った相手に原因があることが多いです。
必ずしもそういう法則にはなっていないと思いますが、
言ったこと、やったことは全部自分にかえってくるというやつ。
いじめのダメージ
私は中学の時に仲良しだと思っていた友だちにいじめられたことがあります。
同じクラスで、同じ部活、席も前後で確か同じ班だったと思います。
当時から私はわたしを貫いていた時(←自分で言っててウケる)、
好きな男の子と同じ塾に通っていたのを隠してたんです(報告する義務もないし的な)。
その裏付け捜査的なのをされて、後日いじめに至りました。
めちゃめちゃ公開ないじめだったんですけど(仕打ちはご想像にお任せします)、
とにかく目の前が真っ白になり、こんな漫画みたいないじめってあるんだ!と、同時に、
おい、クラスメイトよ、これを見て不自然に思わないのか?と思った記憶があります。
犯人は明らかでしたが、特定したりせずその場をやり過ごし、以後も卒業までそのいじめた子とは普通に接していたと思います。
(もしかしたらいじめた側の目線は違う視点かもしれませんが、悪魔でも私目線で話してます。
今思い返したら、いじめた方ももはやギャクだし、私は私で強!な出来事です笑。)
私は割と忘れっぽいというか、過去を受け流してしまうタイプなので、
いじめられたこと自体は忘れてませんがあまり気にしてませんでした。
いじめから10年以上経って、いじめた子と再会し、たまに遊ぶ仲になりました。
そして再会して数回目、その子から突然、あの時はごめんね。と言ってきたのです。
その時思いました。
いじめた側はいじめた側でダメージが大きかったのか。
(てゆうか、悪いと思ってくれてたんだ。しかも今更ー!)
むしろ、10年以上も心残りにさせてたとしたら、ごめんとすら思いました。
誰かを傷つける行為は、自分を傷つける行為でもあるんだ。
誰かを陥れるということは、自分で自分を陥れることなんだ。
全然いいことない。
ヒドイこと言っちゃったなぁの時も、
ヒドイこと言われた側も言った側もアンハッピーなのです。
(もし言われたときは受け取らずに聞き流すとハッピーのままでいられます。)
自分のしたことは全部自分にかえってくるんですね。
やったらやり返さなくても、勝手にやりかえってくので大丈夫なんですね。
だとしたら、”ありがとう”や”笑顔”を沢山振りまく方がいい。
誰でもすぐにでも出来るやつ。
今からでもやろっと。
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
また明日。
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