第六十四回「差とり」

何をやっているんだ、わたし。

みたいに思うことってありませんか。私はあります。

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第六十四回・人間は完璧じゃなくていい

誰だって、やりたいことだけをして生きたいです。

ですが、やりたいことのためのやりたくないことをすることもあります。

やりたいことをやっているはずなのに、不安に感じたり迷うことだってあります。

全部がぜんぶやりたいことだけの、だけ、ではやっていけないのです。

で、一体、何やっているんだ私。

やればやるほど分からなくなったときは、たまに立ち止まってみるとよいです。

書き出してみたり、誰かと話してみたり。

またはいっそのこと突っ走ってみる。

そうすると、本当はこういうことを思っていたんだ。とか、こんな風に考えることも出来るんだ。ということに気づけます。

私は、あまり本を読まないのでいい意味で知識もないし、いい意味でうまい言葉も使えません。

書き出してみると、同じようなことばっかり。

誰かと話してみても、うまく伝えられないこともあります。

それでもいいと思っています。

何故ならば、完璧な人なんていないし、実際のところ正解不正解もないっちゃない。

気が済むまでやればいい。

そして、出せば出すほど、割とすっきりします。

ちなみに私はこのブログを通してすっきりさせてもらってます。←ちゃっかり

ヨガでは、私たちは生まれた時からすでに完璧な存在だ。なんて言われることもあります。

それってね、私たちは完璧な存在だからこそ少しでも感じる違和感の、その差異をちょっとずつ埋めていくという作業こそが人が生きていくうえでの経験(成長)なんだと思います。

経験を積んでいくことが人生。

となると、完璧じゃないゆえ、起こる全ての出来事は、言うなれば人生の”よき素材”なのだろう。

そんなことを考えていたら、何のためにやっていたんだろう。に対して、良きも悪くも全部自分のためか。って思えました。

納得。

よし、引き続き死ぬまでに差取りますか。

今日はここまでです。

読んでくださりありがとうございました。

このブログが何かのきっかけになってくれたら嬉しいです。

愛と光を込めて。

ではまた。

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