第九十四回「近況報告」

7月は、ただひたすら学びと実践の日々で、気づけば、明日から8月になるところでした。

最終日にブログを更新できてよかった~。

(実をいうとヴィパッサナー瞑想合宿の感想は下書きしてあるんだけどね、まだ更新してない。しないかも。)

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第九十四回・おかげ様で新しい気づきを得ることができました

前半はヴィパッサナー瞑想合宿へ、後半は呼吸法と瞑想に特化したプログラムのお勉強をしていました。

ちなみに、半年前から計画していた福岡行き3日間(中旬予定でした)はキャンセルしたのですが、これはキャンセルして本当によかったと思っています。

福岡へ行っていたら、完全にキャパオーバーでしたね。

どちらにせよ、我ながら肉体的にも精神的にも必然的に追い込むかたちになってしまいましたが、昨日やっと山場を越えられた感じです。

(といっても、山場を越えただけでまだ終わっていません。)

(まだまだ続きます。笑)

何より今まで学んできたことが、ここにきてやっと(点と点が線に)繋がった感触があります。

それくらいこの一ヶ月はとても濃く有意義な時間を過ごすことができました。

その中で気づいたこと。

それは、(今)やっていることに理解や本質が伴わなければ、やっている意味は全くないということ。

ちょっと厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、ただやるんじゃ意味がないんです。

やるならば、その意図を明確にして行う方が効果は得られるということです。

もしそれが(ただヨガをやっている)ヨガの先生ならば、尚更その人から学ぶことは何もありません。

先日、ヨガ仲間Aの会でランチをしたんですが、こんな話しになりました。

「人が育たなければ、意味がない」

まさにそうだなと思ったんです。

表面的な変化で、やった気になったり、知った気になったり、なんとなくだったり、私の場合でいうと、ただ楽しいだけじゃないことの裏付けが明確じゃなければ意味がなかったんです。

先生がなんのためにヨガをやって、なんのためにヨガを教えているのか、本質が見えなければ、通う生徒さんたちは育つどころか、幸せになるどころか、その沼にハマるだけ(それって今は幸せかもしれなけど、結局根本的には何も変わらないってやつ)。

先生も生徒さんも、ただ”快い”というだけで、その先はない。

”不快”が発生した時点で、きっと心も身体もパニックになると思う。

憶測ですが、今のところ自分自身が実践し、観察し、そういう結論に至りました。

日々のヴィパッサナー瞑想の実践のお陰か、呼吸法と瞑想に特化したプログラムを学んでいるお陰か、なんだか自分の内側がとてもクリアになったことで、自分以外のクリアではない部分がよく見えるようにもなりました。

なにをいっているんだい。と、お思いかもしれませんが、今の私はだたそう思っただけです。

今更かよ。と、思われるかもしれませんが、”より明確にする”ところがポイントです。

「偉大な解脱のために、自分の霊性・感性が高まり、人生がより豊かになりますように。」

学べる環境とタイミングに大感謝。

今日はここまでです。

読んでくださりありがとうございました。

このブログが何かのきっかけになってくれたら嬉しいです。

愛と光を込めて。

※尊敬するヨガの先生がブログのさいごに必ず愛と光を込めて。と、いってくださるのが好きで私もそえることにしました。

ではまた。

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