第三十七回「修行の身」

誰が正しいとか正しくないとか、ダサい。

誰かのせいにするなんてもっとダサい。

自分がいいと思えばいい。

誰かの目を気にして生きるのはご免です。

自分が一番可愛いに決まっている。

自分を擁護するのは本能だからね。

今日は修行の身である私の今日の気づきをシェアします。

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第三十七回・人生は修行ですな

とあることが気になった私。

いつものことですが、いてもたってもいたれなくてつい突っ込む。

なるほどそうなのか。

気になっていることが解消するわけではないが、こういう考えがあるのかと知る。

黙ってはいられない私は、さらに突っ込む。

全然理解しない。

これは自分の中だけのモラルの問題なのだろうか。

はたまた、別の視点からの意見をもらう。

無論、全然納得なんかいかない。

恐らく、私が何を言ってもどう返されようと無駄なのだ。

特段ジャッチをするわけではありませんが、どこか冷ややかな自分がいるのです。

全てを認め、全てを許そうと言っているわけではないんです。

そういうのもひっくるめていつか自ら悟るときがくるのでしょうか。

あの時は若かったな、的な。

ひとまず、とある気になることを考えているうちに、他所(よそ)のことばかり考えている自分がアホらしくなりました。

時間を無駄にしてしまったとすら思いました。

そもそも私がとやかく言うことでもなかったからです。

万が一、それが悪であるならば、それは当の本人がいつか痛い目にあうだけなのだから。

それが悪ではなく仮に善であり大成功をしたのならば、単純に私が浅はかだったと思おう。

自分には出来ないことを他所(よそ)がやってのけただけなのだから。

私は私で自分の正しさで生きていこう。

どこかの誰かもいっていたよね、”自分のした行いは、全て自分に返ってくる”と。

人間には感情というものがあって、つい人と比べたり、自分の正しさを基準に物事を考えてしまいます。

傷ついたり、傷つけたり、喜んだり、喜ばせたり。

そして、誰だって、誰かのものさしで比べられるのなんてまっぴらなのです。

人間って面倒な生き物ですね。

日々、魂の修行中でございます。

ちなみに、自分の発した言葉が自分をつくるとも言います。

気をつけよっと。

今日はここまでです。

読んでくださりありがとうございました。

このブログが何かのきっかけになってくれたら嬉しいです。

愛と光を込めて。

※尊敬するヨガの先生がブログのさいごに必ず愛と光を込めて。と、いってくださるのが好きで私もそえることにしました。

ではまた。

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